2024年に素晴らしい3勝を挙げ、女子ゴルフ界を牽引する桑木志帆(くわき・しほ)プロ。
一人っ子として育った彼女の活躍の裏には、どのような家族の支えがあったのでしょうか。
今回は、桑木志帆プロを育んだ父・桑木正利さんと母・桑木浩子さんに焦点を当て、家族のエピソードや、地元の人々との温かい繋がりについて詳しくご紹介します。
桑木志帆の父親はどんな人?周りの人にも恵まれた桑木親子。
桑木志帆プロの父親は、桑木正利(くわき・まさとし)さんです。
桑木プロがゴルフを始めたのは4歳の頃。
ゴルフ好きの正利さんと一緒に練習場に通い始めたのがきっかけでした。
幼い頃から娘のゴルフセンスは周囲からも注目され、「プロを目指してみてはどうか」という声が上がるようになったといいます。
正利さんは、かつて障害者施設の職員として勤務されていました。
当時の理事長が非常に理解のある方で、有給休暇が取得しやすかったため、桑木プロの練習や試合に積極的に同行することができたそうです。
正利さんは「理事長には感謝しかない」と語っています。
学校から帰宅するとゴルフ練習場へ向かう桑木プロを、正利さんは、自身が大ファンである宮里藍プロのスイングを参考に指導しました。
経済的に裕福ではなかった桑木家ですが、道具は練習場の常連客から支援を受けるなど、周囲の温かい助けがあったといいます。
こうした周囲の支えが、桑木プロが頭角を現し、試合で優勝を重ねる原動力となりました。
地元のゴルフ場が安価でのラウンドを許可してくれたり、地元企業からの応援も大きかったようです。
特に、RSK山陽放送の桑田茂社長は、全英女子オープンで優勝する前から渋野日向子プロを応援しており、高校時代から桑木プロにも注目していました。
桑田社長は「次は桑木志帆がくる」と語っていたほどです。
桑木正利さんは、**「娘は桑田社長にとてもかわいがっていただきました。
ラウンドをご一緒した際も、地元企業の方々を紹介していただいたことで、プロテストに合格してすぐにたくさんのスポンサーが付きました。
ツアーで使う移動の車も用意してもらっています。
桑田社長が『桑木をよろしく頼む』と言っていただいていたお陰です」**と述べています(引用元:THE ANSWER)。
桑田社長は残念ながら桑木プロのプロテスト合格を見届ける前に他界されましたが、その多大な支援は桑木プロのキャリア形成に不可欠でした。
プロになってからも、正利さんは娘の試合に同行し、18ホールを共に歩き、スコアを記録。
手描きのコースマップにショットの記録を記したノートは100冊以上にも及びます。
これはもはや「仕事」とも言える献身的なサポートです。
2023年の「北海道meijiカップ」2日目には、スタート直前に正利さんが脳梗塞で倒れるという緊急事態が発生。
桑木プロは、その事実を知りながらも試合に臨み、見事2位という好成績を収めました。
幸いにも正利さんは大事に至らず、親子の絆の強さを示すエピソードとなりました。
桑木志帆の母親はどんな人?
桑木志帆プロの母親は、桑木浩子(くわき・ひろこ)さんです。
非常に堅実な性格で、桑木プロと正利さんが「プロを目指す」と言い出した当初は、「プロなんて、夢みたいなことだ」と反対していたといいます。
浩子さんは公務員として勤務されており、安定した道を勧めていました。
しかし、娘が一生懸命に練習に打ち込み、試合で優勝を重ねる姿を間近で見るうちに、その熱意と才能を認め、心から応援するようになったそうです。
2024年には念願のプロ初優勝を含む3勝を挙げた桑木プロ。
かつて公務員の道を勧めた母・浩子さんも、今では娘の最大の理解者であり、応援団長としてその活躍を温かく見守っています。
まとめ:桑木志帆プロを支える温かい家族と地元の人々
今回は、女子プロゴルファー桑木志帆プロの活躍を支える家族の存在と、地元からの温かい応援について深く掘り下げてきました。
- 父・桑木正利さんの影響で4歳からゴルフを始め、献身的なサポートを受けてきました。
- 母・桑木浩子さんは、当初プロの道に反対するも、娘の努力と才能を認め、今では最大の応援者です。
- 裕福ではない中でも、障害者施設の理事長や練習場の常連客、地元ゴルフ場、そしてRSK山陽放送の桑田茂社長など、多くの人々の理解と支援に恵まれてきました。
- 2023年には父・正利さんが脳梗塞で倒れるアクシデントに見舞われるも、娘は動揺を乗り越え2位という好成績を収め、親子の強い絆を示しました。
桑木志帆プロの類まれな才能に加え、家族の深い愛情と、地元の人々からの温かい支えが、彼女をプロゴルファーとしての成功へと導いたことが分かります。
こうした人間関係に恵まれた桑木プロの今後のさらなる飛躍に、期待せずにはいられません。
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