6度目の挑戦でJLPGAプロテストに合格した手束雅(てづか・みやび)プロ。
彼女は身長167cmの恵まれた体格とビジュアルで注目されるルーキーの一人です。
ゴルフを始めたきっかけは兄の影響であり、2012年には世界ジュニアゴルフ選手権で優勝するなどの実績を持ちながらも、「ジュニア時代に優勝しているからといって、簡単にプロになれるわけではない」と語っています。
本記事では、手束雅プロの家族構成、兄の存在、そして彼女が経験したイップスからの克服について詳しくご紹介します。彼女の精神的な強さが今後の活躍に期待を持たせています。
手束雅の家族は?兄もゴルファー⁈
手束雅プロは徳島県小松島市出身です。
彼女がゴルフを始めたきっかけは兄の影響でした。
兄は父親の勧めでゴルフを始めたとされており、その姿を見て手束プロもゴルフに興味を持ったとされています。
兄の存在: 手束プロには8学年上の兄がおり、その名は手束将之(てづか・しょうの)氏と推測されます。
将之氏は中学生からゴルフを始め、大阪学院大学に進学しゴルフ部に所属していました。
現在の職業は不明ですが、妹のプロテスト合格を喜んでいることでしょう。
家族のサポート: 父親の職業に関する詳細な情報はありませんが、「やるからには真剣に」という方針のもと、手束プロを小学生の頃からゴルフアカデミーに通わせるなど、ゴルフに集中できる環境を整えていたことが伺えます。
手束プロが途中で諦めることなくプロゴルファーになったことは、家族の深い理解とサポートがあったからこそと言えます。
手束雅はイップスの時期があった?
手束雅プロは、2012年の世界ジュニアゴルフ選手権優勝という輝かしい実績を持つ一方で、2021年頃にイップスを経験しています。
イップスとの闘いと克服: 手束プロは当時の状況について、「あの時はどうしたらいいのか、わからなくて。
気持ちと身体、考えていることが合わなくて…」と、精神的にパニック状態だったことを明かしています。
転機となったのは、年齢制限のない予選会で小中学生とラウンドする機会でした。
無邪気にゴルフを楽しむ子どもたちの姿を見て、手束プロは「この場合はこう打たなくちゃ」と自身が過度にとらわれていたことに気づき、初心を取り戻すことができました。
この経験を通じて、彼女は徐々にイップスを克服していきました。
手束プロは「ゴルフが楽しいという気持ちを戻させてくれた」と語っており、子どもたちとのラウンドが精神的な回復に大きく貢献したことが伺えます。
手束雅のコーチは誰?拠点を関東に移して
2024年、手束雅プロは練習環境を求めて岡山から千葉に拠点を移しました。
これは、石井忍ツアープロコーチの指導を受けるためです。
新拠点での成長と石井忍コーチ: 新しい環境に移ったことで、手束プロはスイング、体力、体づくりにおいて成長を実感しています。
ALBA Netの取材に対し、彼女は「以前は負担だった試合での移動や練習への交通といった『余分なストレス』が減り、その結果『好きな時に練習できるし、それが一番楽しい』」と語っており、メンタル面にも良い影響が出ていることを示唆しています。
石井忍氏は、ツアープロコーチとして千葉市、神保町、赤坂で「エースゴルフクラブ」というアカデミーを主宰しています。
彼のコーチング哲学は、自身の経験から培われたものです。
35歳の頃、プロとしての限界を感じ始めた時期に、女子研修生からの相談をきっかけにコーチ業に興味を持ちました。
彼は「教えたことが結果として出る喜びを知り、自分のやりたいことが全てじゃなく、自分がやれることはなにかを考えることも大事なんだと。
自分の夢を叶えてくれるというか、自分ができなかったことを叶えてもらうためのサポートをする。
コーチという仕事にのめり込んでいく大きなきっかけだった」と語っています(引用元:Jeep)。
石井コーチの指導を受けた選手は、2024年のプロテストで手束雅プロだけでなく、都玲華プロも合格しています。
彼らの「楽しい」という言葉は、コーチの指導法がゴルフに対するポジティブな気持ちを引き出していることを示しています。
まとめ:手束雅の挑戦と成長の軌跡
6度目の挑戦でプロテストに合格した手束雅プロは、その恵まれた体型とビジュアルだけでなく、精神的な強さも持ち合わせています。
- 手束雅プロは徳島県小松島市出身で、兄の影響でゴルフを始めました。
- 2012年には世界ジュニアゴルフ選手権で優勝する実績を残しました。
- 一時期はイップスに苦しむも、小中学生とのラウンドを通じて初心に帰り、克服しました。
- 2024年からは拠点を千葉県に移し、石井忍コーチの指導のもと、さらにゴルフに集中できる環境で成長を続けています。
イップスという困難を乗り越え、夢を掴んだ手束雅プロの今後の活躍に、ぜひ注目し応援していきましょう。
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