今回は日本人の父親とフィリピン人の母親のハーフである笹生優花(さそう・ゆうか)プロのお父様をご紹介します。
父親は日本人で名前は笹生正和(さそう・まさかず)さんです。
ジャンボ尾崎さんをうならせたドライバーショットは父親の正和さんの指導によるものです。
笹生優花の父親の職業は?
父親の正和さんは、千葉県の外房、太平洋に面した所の出身です。
親戚はみんな漁師という、漁師の家に生まれ育ちました。
幼いころから漁の手伝いをして朝の3時に起きていたのだとか。
自分も漁師になるもんだと水産高校の無線科に進学。
そんな時に父親が倒れたので他の仕事に就くことになったのです。
JRや建築系の仕事をしたのち、JRの退職金で運搬業の事業を立ち上げます。
その後、東京の下町で不動産賃貸業を始めて現在に至ります。
笹生優花の父親の指導はどんなもの?
父親の正和さんは、学生の頃に柔道、空手、剣道のほかキックボクシングをしていました。
こうした武道の経験から、「がっしりとした下半身と、柔軟性を兼ね備えた者がスポーツを制する」という考えに至る。
「ゴルフのように下半身と上半身が別の動きをするスポーツは怪我につながりやすい。
優花が小さい頃は、基礎的なトレーニングに、ほとんどの時間を費やしました」
(週刊現代より)
プロになってツアーに出るようになったら、朝が早いというので毎朝5時に起床。
そしてアンクルリストを付けてのランニング。
足に重りをつけて走るんですよね。
それから自転車こぎを30分してからゴルフ場へ。
聞いているだけで、ストイックさが伝わってきます。
しかし、日本でラウンドするとなると、費用はバカになりません。
「向こうなら、練習場もコースもだいぶ安く抑えられる。
当時はまだ(日本で)仕事があったので、日本とフィリピンを1ヵ月ごとに往復する生活をはじめました」(週刊現代より)
そこで、家族でフィリピンに再度移住。
笹生優花プロは5歳から8歳まで、日本で過ごしていました。
フィリピンのゴルフ場は親がメンバーだと子供は無料でラウンドできるのです。
フィリピンにわたっても下半身重視の方針は変わらなかった。
「スクワットの回数は学年を追うごとに増やしていき、中学に入学する頃には一日1200回ほどこなしていました。
人一倍の負荷をかけるぶん、マッサージなどのケアにも大きな時間を割いて、怪我をしない身体作りをしました」(週刊現代より)
笹生優花プロは中学生の頃には250ヤードを飛ばしていたというから驚きです。
しかし、ジュニアゴルファーの大会でアメリカのアンドレア・リー選手にドライバーの飛距離で、40ヤードほど差をつけられ大泣き。
正和さんは、すでに人一倍の努力をしていた娘にこれ以上のハードなトレーニングを課すことは嫌だったと。
『これ以上お前に厳しいことをさせるのはごめんだ。
なんであんなに辛い思いをしなきゃいけなかったんだと恨まれるのが、親として一番嫌だ』と。
でも、優花は『そんなことはぜったい言わない。私はもっと頑張りたい』と目を見て言い切った。
この日から、二人の練習はさらに質と量を増していった。
父は大量のゴルフ教則本を読み漁り、娘は両足の2.5kgの重りに加え、さらに10kgのウエイトベストを着て、ダッシュを繰り返す。
(週刊現代より)
負けたことによって強くなっていくんですね!
そして、このトレーニングがあの豪快なスイングを生み出したんですよね~。
TOTOジャパンクラシックで笹生優花プロのドライバーショットを拝見したのですが、スイングは速く男性プロゴルファーを見ているようでした。
あの石川遼プロも「笹生さん、すごいスイングです。世界レベル!!」と絶賛。
男子プロが見ても「すごい!」と言うのですから間違いないですよね!
笹生優花プロは全米女子オープンで2勝!
世界で戦うには強靭な身体が必要!
笹生優花プロが証明してくれていますよね~。
笹生優花の父親のまとめ
・笹生優花プロの父親の名前は笹生正和さん。
・千葉県外房の漁師の家に生まれ育つ。
・漁師の父親が倒れたため家業は継がず。
・JR職員を務めたのち、退職金で運搬業の事業を始める。
・現在は東京の下町で不動産賃貸業を営む。
・武道の経験から強靭な下半身と柔軟性を兼ねそろえるトレーニングを娘に課す。
・笹生優花プロのストイックさは父親の正和さん譲り⁈
世界の賞金女王を目指す笹生優花プロの今後が楽しみです。
皆さんも一緒に応援していきましょう!
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