国内ツアーで2勝、そして米国メジャーでも2勝を飾るなど、世界を舞台に活躍している笹生優花(さそう・ゆうか)プロ。
現在はアメリカを拠点に活動していますが、彼女のゴルフキャリアの基盤はどのように築かれたのでしょうか。
本記事では、笹生優花プロが卒業した高校、そして、その父親がどのような人物で、どのように娘を指導し、世界トップレベルのゴルファーへと育て上げたのかを深掘りしてご紹介します。
笹生優花の高校はどこ?
笹生優花プロは、通信制の代々木高等学校を卒業しています。
本校は三重県志摩市に位置し、東京、大阪、名古屋、岐阜、京都、熊本、沖縄にスクーリング会場を設けています。
笹生プロは代々木高校のゴルフ部に所属し、年に一度、三重県の賢島カントリークラブで合宿を行っていました。
賢島カントリークラブは、伊勢志摩国立公園に隣接しており、その美しい景観の中でゴルフに打ち込める恵まれた環境でした。
笹生プロが全米女子オープンで2勝を挙げた際には、地元三重県、特に志摩市や賢島カントリークラブの関係者は大きな喜びを分かち合ったことでしょう。
代々木高等学校の「アスリートゴルフコース」は非常に充実しており、通信制でありながら、現在は年間7回の合宿を実施するなど、集中的な指導体制を整えています。
コーチやアドバイザーには、同校の卒業生も多く、多感な高校生の心情を理解したきめ細やかなサポートが行われていると考えられます。
近年、通信制高校は、明確な目標を持つ生徒や、時間を有効活用したいというニーズに応える新しい教育の選択肢として注目を集めています。
代々木高等学校は、笹生プロ以外にも東風花プロ、古家翔香プロ、小俣柚葉プロといった女子プロゴルファーを輩出しており、プロ育成の確かな実績を持つ高校と言えるでしょう。
笹生優花の父親はどんな人?
笹生優花プロの父親である笹生正和氏は、千葉県の外房、太平洋に面した漁師町のご出身です。
親戚は皆漁師という環境で育ち、幼い頃から毎朝3時に起きて漁の手伝いをしていたといいます。
彼自身も将来は漁師になることを考えて水産高校の無線科に進学しましたが、父親が倒れたことを機に、他の仕事に就くことになりました。
JRや建築系の仕事を経て、JRの退職金を元手に運搬業の事業を立ち上げるなど、その行動力と事業への意欲が伺えます。
その後、東京の下町で不動産賃貸業を始め、現在に至っています。不動産賃貸業に早くから着目し事業を成功させたことは、彼の持つ先見の明を示すものでしょう。
笹生優花の父親の指導は下半身を鍛える⁈
父親の笹生正和氏は、学生時代に柔道、空手、剣道、キックボクシングなど様々な武道を経験してきました。
これらの経験から、「がっしりとした下半身と、柔軟性を兼ね備えた者がスポーツを制する」という哲学を持つに至りました。
正和氏は、ゴルフのように下半身と上半身が異なる動きをするスポーツは怪我につながりやすいと考え、笹生優花プロが幼い頃から基礎的なトレーニングにほとんどの時間を費やしたといいます。(引用元:週刊現代)
プロになってツアーに出るようになってからも、早朝からの練習を想定し、毎朝5時には起床。アンクルリストを付けてのランニングや、30分間の自転車こぎといったストイックなトレーニングを欠かしませんでした。
日本でのゴルフ費用が高額であることから、正和氏は環境を変えることを決断します。
「向こう(フィリピン)なら、練習場もコースもだいぶ安く抑えられる。
当時はまだ(日本で)仕事があったので、日本とフィリピンを1ヵ月ごとに往復する生活をはじめました」(引用元:週刊現代)
その後、家族でフィリピンに再度移住します。
笹生プロは5歳から8歳まで日本で過ごした時期がありましたが、フィリピンのゴルフ場では親がメンバーであれば子供は無料でラウンドできるという利点がありました。
フィリピンに移住後も、下半身を重視するトレーニング方針は変わりませんでした。
中学入学時には、一日1200回ものスクワットをこなすなど、学年が上がるごとに負荷を増していきました。
同時に、人一倍の負荷をかける分、マッサージなどのケアにも時間をかけ、怪我をしない身体作りを徹底したといいます。(引用元:週刊現代)
中学生で250ヤードを飛ばすほどの飛距離を誇っていた笹生プロですが、ジュニア大会でアメリカのアンドレア・リー選手にドライバーの飛距離で40ヤードもの差をつけられ、大泣きした経験がありました。
この時、正和氏はすでに努力を重ねていた娘にこれ以上のハードなトレーニングを課すことを躊躇したと語っています。
「これ以上お前に厳しいことをさせるのはごめんだ。
なんであんなに辛い思いをしなきゃいけなかったんだと恨まれるのが、親として一番嫌だ」(引用元:週刊現代)
しかし、笹生プロは「そんなことはぜったい言わない。
私はもっと頑張りたい」と、自らの意思でさらなる努力をすることを父親に告げました。
この出来事を境に、父娘二人三脚での練習は質と量ともに増加。
父親は大量のゴルフ教則本を読み漁り、娘は両足に2.5kgの重り、さらに10kgのウエイトベストを着用してダッシュを繰り返すなど、徹底的な身体作りを続けたのです。(引用元:週刊現代)
このような壮絶なトレーニングが、笹生優花プロの豪快なスイングを生み出しました。
彼女のドライバーショットのスイングスピードは男子プロゴルファーにも引けを取らず、石川遼プロも「笹生さん、すごいスイングです。世界レベル!!」と絶賛するほどです。
世界で戦うためには強靭な身体が不可欠であり、師匠であるジャンボ尾崎氏もその重要性を認めています。
笹生優花プロが全米女子オープンで2勝を挙げていることは、そのトレーニングの成果を如実に証明していると言えるでしょう。
笹生優香はアメリカツアーが主戦場。
笹生優花プロは、フィリピン人の母親と日本人の父親を持つハーフです。
4歳頃に家族でフィリピンから日本に移住した際、当時はタガログ語しか話せず、寂しさを感じたといいます。
その中で出会ったのがゴルフでした。
彼女はプロゴルファーになることだけでなく、「世界一」になるという明確な目標を掲げるようになりました。
世界で戦うためには英語の習得が不可欠であると考え、ゴルフ練習の後に3時間の英語学習を毎日欠かさなかったといいます。
その努力の結果、今では流暢な英語を操り、通訳なしでスピーチを行う姿は多くの人に感銘を与えています。
また、5ヶ国語を話せるという情報もあり、その語学力は彼女の世界での活躍を後押ししています。
2020年からはアメリカツアーを主戦場とすべく、父親の笹生正和氏と共にテキサス州へ移住しました。
英語が堪能であることは、アメリカでの生活や競技において大きなアドバンテージとなっています。
現地ではトレーニングルームを完備した一軒家を購入し、トレーニングスタッフ、マネージャーと共に4人で生活しています。
効率的なスイングの追求と、怪我をしない身体作りのため、野球のイチロー氏のような体型を目指していると報じられています。
さらに、ゴルフに関することなら何でも理解し、説明できるようにするため、道具に関する勉強も欠かさないという探究心も持ち合わせています。
アメリカツアーでの3勝目も、彼女の努力と成長を見れば、そう遠くない将来に実現する可能性が高いでしょう。
まとめ:笹生優花プロの軌跡と未来への期待
今回は、日本とアメリカのメジャー大会で輝かしい実績を重ねる笹生優花プロのゴルフ人生と、それを支える家族の存在に迫りました。
- 笹生優花プロは、通信制の代々木高等学校を卒業。
通信制ながら充実したゴルフ部で、賢島カントリークラブでの合宿などを通じて技術を磨きました。 - 父親の笹生正和氏は、元漁師という異色の経歴を持ち、運送業や不動産賃貸業で成功を収めた実業家です。
- 正和氏は、武道経験から培った「下半身と柔軟性がスポーツを制する」という哲学に基づき、笹生優花プロに幼少期から徹底的な下半身強化トレーニングを課しました。中学生の頃には1日1200回のスクワットをこなすなど、その努力は並々ならぬものでした。
- 日本でのゴルフ費用の問題から、父・正和氏と共にフィリピンに移住し、ゴルフに集中できる環境を整えました。
- 「世界一」を目指すために英語学習にも力を入れ、流暢な語学力を身につけています。
- 2020年からはアメリカ・テキサス州に拠点を移し、トレーニングスタッフと共に効率的な身体作りとゴルフの研究に日々励んでいます。
- 全米女子オープンでは、2021年と2024年の2度優勝を飾るなど、その実力を世界に証明しています。
笹生優花プロの強さの裏には、父親の独自の指導哲学、そしてそれに応え続けた本人の並々ならぬ努力と探求心がありました。
今後もアメリカツアーを主戦場とし、さらなる高みを目指す笹生優花プロの活躍に、大きな期待を寄せて応援していきましょう!
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